Point to Points
Concept of “Point to Points - Exchange Exhibition between QCA and AIG 2013”
Spectators are necessary for any artworks to exist. In other words, artworks must be received by someone. Therefore, all works must be made for “receivers”.
Exhibiting works in their home countries or in the same language area can cause artists to disregard their work’s receivers.
However, there are myriad receivers in the world. If artists take opportunities to know them, they grow a consciousness of receivers. That becomes an advantageous experience for artists.
Receivers also can get fresh experiences from viewing works made by artists who are from other cultures, and it is a thrilling occasion for receivers to communicate with the artists. Artists also can be receivers when they show their works in international exhibitions or in other countries.
The exchange exhibition “Point to Points” provides this experience.Yamaguchi Isao
多様性との遭遇・常識を揺さぶる
作品はそれを「受け止める人(鑑賞者)」がいなければ成り立たない。あらゆる作品は「受け取り手」をある程度想定する必要があるし、そうした方が、作品を優れたものへと改良しやすい。
同じ文化圏・言語圏だけで展示発表をしていると「受け取り手」のイメージを安易に行ないがちである。しかし、世の中には多様な「受け取り手」がいる。それを知り、体験する機会が多ければ「受け取り手」の存在を再確認することになる。芸術家にとって有益だろう。
また「受け取り手」(共に展示する芸術家も含む)にとっても違う文化や言語圏から生み出された作品を観ることや、芸術家本人とコミュニケーションを図ることは新鮮な体験となるだろう。
“Point to Points”がそんな機会の一つになれば幸いである。山口 功日本とは違う文化圏、言語圏で我々の作品がどんなインパクトを与え、どういう反響があるかたのしみな展覧会です。
吉田いずみ
展覧会名「Point to Points」副題「Exchange Exhibition between QCA and AIG 」* 2013 *
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①オーストラリア展
展示期間:2013年9月27日~10月6日(10日間)
場所:オーストラリアQCA美術大学所属ギャラリー
出展者は、QCAの大学院生(オーストラリア側6名)
したがって、オーストラリア大学関係者とも交流となる
②日本展
展示期間:2013年12月6日~15日(10日間)
オーストラリア展示と同じメンバーで展示
場所:アートイマジンギャラリー
出展者(日本側)
山口功(油) 吉田いずみ(油、アクリル) 伊藤ちかこ(色鉛筆)
小澤麻希(インスタレーション) 大隅秀雄(立体彫刻) 座間絢乃(日本画)
樹中遊路(モノクロペン:有彩画) 麻佑(イラスト)
PtoP日本展フライヤー表
PtoP日本展フライヤー裏
発起人:山口功、吉田いずみ
主催:Point to Points 実行委員会
協賛協力:アートイマジン
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現代社会においては、異文化への好奇心を充分に満足させるために「どこか別の場所」の雰囲気や断片を、簡単に手に入れることはできる。異なる文化を経験するために、実際する必要はない。サウスバンクの界隈にだって寿司バーはいくつもあるし、接待や付き合いでカラオケを利用することもある。また、日本のマンガやアニメをインターネットや、映画館で観ることもできる。東京では、カンガルーやラムのステーキを食べることもできるし、専門店に行けば、ドリザボーンやアクーベラを買うこともできるだろう。では、どうして日本人アーティスト達は作品を詰め込んだトランクと共に、飛行機に乗り込んだのか。なぜ、「国際交流展」と称した展覧会を行うために9時間もかけてオーストラリアにやって来たのか。一体全体どういうことなのだろう。8人のアーティストがこの展覧会のためにグリフィス大学のクイーンズランド・カレッジ・オブ・アート(QCA)にやってきた時、私の頭にはまず、この問いが浮かんだ。彼らは、QCAの大学院生6人と「国際交流展」を開くためだけに、東京からはるばる来豪し、季節はずれの暑さに咽ぶブリスベンに降り立ったのだ。
しかし、その問いの答えは容易に推測できる。元来、アーティストというものは、素材・場所・タイミングといったものの重要性を強く認識している。「そこに存在する」ということは、画像データをインターネット経由で送信するということとは、全く異質なものだ。そのことをアーティスト自身がよく知っているのだ。ブリスベンと東京を結ぶ点と点。真に点と点をつなげるには、それなりに時間をとって、現地に赴くことが必要だ。彼らは、そうしたことも理解しているのだ。今回の展覧会"Point to Points"は、アーティストが「どこか別の場所」との関わりを持った好例として、今後様々な場面で列挙されていくことだろう。この経験は、樹木が大地に根を張り、大きく青葉を繁らせるがごとく、日豪アーティストの個性と才能を大きく育み、飛躍させていくに違いない。何度も何度も、異なった場所で、新たな順序で、交流展が開催される。それこそが真の意味で自文化の点(Point)と異文化の点(Points)をつなぐ起点となるはずである。
今回の交流展は、山口功氏の提案によるものである。彼は2009年にQCAの博士課程に留学していたこともある、日本人アーティストである。その当時、グリフィス大学と、東京藝術大学では、交換留学制度を立ち上げたばかりだった。それは、双方の学生を交換して、互いの大学に留学させ、経験を積ませるというものだった。もちろん、山口氏は交換留学の期間を無事に修了している。 今回の展示では、日本のアーティストは、QCAから選抜された大学院生と共に、実に幅広い仕事をした。幅広い、そう、オーストラリアのアーティストが作った作品からは、少なくとも二つの側面と、二つの見方、を看て取れる。
オーストラリアのアーティスト、Zoe Porterは東京藝術大学に4ヶ月間留学した経験ある。今回の展覧会に出した作品は、その当時に制作したものだ。彼女の作品は、パフォーマンスや絵画、ビデオなど、多様なジャンルに跨り、用いる素材も多岐にわたる。そして今回、出展した小さな集合的作品は、彼女の幅広い試みの真価を証明している。作品の中で、彼女は日本のアンティーク・ショップで見つけた古本のページを使っている。そのページの上に、彼女はオーストラリアのコアラやカンガルー等の有袋類と、日本のアニメに登場する妖怪を掛け合わせたような、怪物的なカタチを描いた。彼女は日頃、人間が他の生物に変化し、再び人間に戻るというパフォーマンスを行っている。今回の作品のイメージはそうした彼女のパフォーマンスとも関連性を持っている。それらの作品群は、日常的なモティーフが絶え間なく変身し、歪曲し、新しいカタチを生み出す、そんな世界を構築している。
Eric Rossiのビデオ作品からは、彼の物見遊山的な旅を追体験することができる。フィンランドのツンドラをトナカイに引かれたソリに乗って横断し、奇妙な使命を帯びてヘリコプターに乗り込み、砕氷船に乗って凍てついた海を進む。また、オーストラリア人にとっての「異国情緒」も提示される。アロハシャツ、船長の帽子、そして、コンピューターのケーブルで作られたグラススカート。永遠の旅人として、彼が内面に持っている「異国情緒」を探り当てる試み。彼のビデオ作品は、まさにその過程である。彼は、自分の存在を確立するために、自分自身を「どこか別の場所」に運んでいるのだ。
Glen Skien は版画家として既に有名である。版画制作で培われた彼の細部に対するこだわりは、本、立体、絵画、インスタレーション等の異なるジャンルにまで及んでいる。今回の出展作品は本のカタチをしている。その中で彼は、やりがいのある挑戦を鑑賞者に提示している。ひとたび本の表紙が開かれれば、私たちは投げ縄と釣り針のようなカタチをした、二本の太いロープを目にするだろう。彼は素材に対して、無言の内に畏敬の念を持って接している。そして、この作品において、その解釈は鑑賞者に委ねられている。そして、このアンサンブラージュ/立体/インスタレーション作品の別の要素は、金属の楔である。それは、小さな家をかたどったと思われ、杭のように尖っている。彼はこの作品において、鑑賞者がどのように作品を解釈するかが、作品理解の突破口となると、示唆しているようだ。
Ryan Presley は、Skienと同じく、多様な素材を使って制作している版画家である。彼の作品は、土着ではない人間がオーストラリアにいかに定着していったか、複雑に屈折したイメージを介して語られている。土着のアーティストであるPresleyが確かな技術と高い精度で作り上げた世界は、文化的論争を呼び起こす。先住民保護機関が長年かけて作り上げた、人種間の差、住む領域の差。そして、今なお、Presleyの作品を鑑賞して、その複雑さに触れると、人々は意義のあることと了解しつつも、内面をかき乱されるような、やりがいがありつつもかき乱されるようなそのテーマを突きつけられるのだ。民族に対する深い愛と誇り、そして高い技術力を持って作られたそれらのイメージの中から。
Amalia Kiddのビデオ作品。一見すると、日常の生活の一コマに過ぎないように思える。ブランケットを畳む、何の変哲も無い女性。しかし、しばらく観ていると、違った観点が見えてくる。美しいパターンの入ったブランケットは、電気仕掛けで、揺れ動いたり、飛び跳ねたりして、p彼女のコントロールから逃れようとしているようにも見える。ブランケットは、女性たちの手仕事のようにも見えるし、柔らかくしたジョセフ・アルバーズのようにも見える。砂漠の片隅の長大な落書きの前で、このような労働を演じるという事実は、また別の奇妙な厚みを与えている。彼女が畳むパターンと、後ろで揺らめくパターンとに挟まれて、彼女は現実味を失いつつある。それは、やんわりとしたレプリカとの狭間。男性に与えられる華々しい仕事と、近現代の性別分担の歴史との狭間で、彼女はそのような役割を演じざる得ないようにも思えてくる。
Bianca Beetsonの二枚のポートレートは、情熱的に対比され、言葉が漂い、消えていく。それは詩的作品というだけでは説明できない。アボリジニーのアイデンティティはこのように見られることを予測しているという一般論の確認以上のものだ。Biancaの作品はユーモアと自虐さを伴って、彼女自身が土着の血をひいていることに対する探求である。もっとも、このところの彼女の作品は、痛切で、思慮に満ちたものになっていて、そしてそれは、より複雑になっている。二つのイメージはBianca本人の顔であるが、それに気がつくのは難しいだろう。それは、イメージ同士が相互に見つめられることを求めているようだ。双方の人物にとって、「認識する」という概念を僅かに超えて、想起されているのかもしれない。
オーストラリアのアーティストと共にこの国際交流展を実施した(東京では12月に実施予定)日本のアーティストの作品は、複雑で繊細であることは言うまでもない。日本特有の伝統的な価値観と、素材に対するきめ細やかさ。彼らはそれを変容と変形をもってして、現代的な課題に挑んだのである。異文化をどのように内包し、消化し、そして、そのように反映していくか、そうした観点を得られたことは、オーストラリアの鑑賞者にとって、極めて貴重な体験であったことだろう。
Cassandra Schulz、Kieron Wilson、Luke Kidd に感謝の気持ちをこめて。
彼等の協力無しでは、展覧会を実現するのは不可能であったであろう。
グリフィス大学 クイーンズランド・カレッジ・オブ・アート 教授 Pat hoffie