展覧会名 今日のあらし
会期 2015年5月28日(木)~6月16日(火) 休廊日 水曜日 12:00~19:00(最終日16:00まで)
会場 アートイマジンギャラリー B室
入場料 無料
kirik / hibernation
〔個展〕
2014 「われら、しにそこなった、われら」(新宿眼科画廊/東京)
2014 「すこやかなよる」(SYNERGY73 / 岡山)
2013 「I see the night from this hill.」(新宿眼科画廊 / 東京)
2012 「第一夜 大通り裏の暗渠の夢」(新宿眼科画廊 / 東京)
〔グループ展〕
2014 「3331アンデパンダン」(3331arts CYD / 東京)
「アートイマジン芸術祭」(O美術館 / 東京)
「芸術の存在意義『展』No’15」(アートイマジンギャラリー / 東京)
2011 「HARBEST展」(Hidari Zingaro / 東京)
〔web〕
http://kirik.flavors.me/
今日のあらし
―魔法使いのふりしてくれる?かっこわるくてもいいから。
そういうもので、世の中できてるってこと、夕べ知ったのです。
もうすでに、やになっちゃってますか?世の中のいろいろのこと。
かっこわるくてもいいから。繰り返してください。そういうもので、世の中できてるってこと、
今夜教えてあげます。夜は真っ暗だから。わたし、あなたに何か、告白をしようか。(「魔法」)
<kirik/hibernation>
展示に向けて
個人で居られなくなることを、絵画を描いて抗っている。
この世の中には、形を持たないもの、未分化のもの、形におきかえると消えてしまうものが沢山ある。 すぐに答えを求められ、既存の意味で表現をしないといけない、そういう風潮があるように感じられる。
新しいものが生まれていても、既存のイメージや言葉で表し、不安感や違和感を覚えながらも、そのまま言い切っている。 文化として未分化の問題意識は、”今”の言葉で表現できているのだろうか。
結局のところ、自分がうやむやになっている部分を、やっている意味を、ショウカしたいかしたくないか、なのではないだろうか? したいなら、解決している。人間全員が共有しているプールの中でのコミュニケーションを行えばいい。 したくないならば、それもまた解決している。自己の探究心の中で、自由に泳げばいい。 そもそも人間は、形式ばっている。だからこそ、”人間”じゃない人がつくる作品を見せて欲しいし、見たいのだ。
<畑正太 kirik/hibernation 芸術の存在意義「展」No.15から 作品を前に>